青い目の人形について 1920年代、アメリカでは低賃金でもよく働く日本人を締め出すために、日本人移民を排斥する動きが 出てきて日米は緊張した関係にありました。これを憂慮したアメリカ人宣教師シドニー・ルイス・ギューリック 一世が、日本人と友好を深めようと考え、寄付で集まった資金を元に購入した、1万2千739体のフランス 人形を日本へ「友情人形」として送りました。日本ではその人形を各小学校、幼稚園に贈って、 盛大な歓迎会を催しました。 韮川小学校には、1927(昭和2)年5月2日にやってきたという記録が残っています。寝かせると目を 閉じて、 「ママー。」と声を出し、子どもたちにとても喜ばれたそうです。さらに、日本からも「返礼人形」 として日本人形がアメリカに贈られ、米国内でも熱狂的に歓迎されたということです。 しかし、これらの人形に込められた願いとは裏腹に、1941(昭和16)年12月8日に、日米は戦争を 開始してしまいました。 その後、日本では、「鬼畜米英」というスローガンのもと、アメリカをイメージするようなものを持って いたり、使ったりすることが許されないような状況が生まれました。青い目の人形もその流れには 勝てず、多くの小学校で焼かれたり壊されたりしたようです。しかし、韮川小学校のメリーちゃんは、 壊されることなく無事残ることができました。 現在、日本全国で確認されている青い目の人形の数は、286体(1993年 残存率2.2%)、 群馬県では19体(1993年県内贈呈数142体により残存率13.3%)です。群馬県は残存率全国 第1位です。 さらに太田市では、韮川小学校だけです。 |
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メリーちゃん 韮川小学校のメリーちゃんは 平成19年3月〜6月の間 長崎歴史文化博物館へ貸出を しました。 日本中の青い目の人形が展示 されているようです。 メリーちゃん久しぶりにお友だちに 会えてよかったですね。 |
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フランシスさん この人形はアメリカの大学の教授 |
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